新鮮さ

 何もツール変更なく一年が過ぎてしまい

何か一つ変化を持って事を変えて動いてみようと言う事で

カメラもレンズもMac関連も何も変えていないので、

 

 ここはひとつ、レンズを変える感覚で、

Macのキーボードを従来のものに変えて文字を打ってみようかと思い

久々に古いキーボードを差し替えてみた。

 

 僕のMacスタイルは

デスクトップ主義なのでずっと

Mac王道の例の白いヤツを使って来たが

昨今では標準の付属もノートタイプの薄型になった訳で

その後世の中の流れや人のMacやPCでもフラットタイプが大半だから

慣れておかないとの意味もあって自分の常のMacもフラット型にしたが

年度が変わって何もやる気も変化も無い事から

何か身近を変えるものが無いかなぁと思いキーボードを過去キーボードに変えてみた。

 

 今このノートは

G4G5時代のごっつい白の懐かしいタッチを楽しんでキーを打って見ている。

 

やっぱ時々変化があるって、こういう事だけでも新鮮味が復活しますね。

もうMacの脇に両タイプ置いておいて、気分とかで変えてみても良いかもと思う。

いつかは入手出来ないものや、規格でなくとも主流が変わっても

自分の中で使う使途と感触と好みを続けられるのであれば、

世の中がこうだからコッチであるべきと断定しなくても良いのかもしれない。

フラットなキーボードに慣れると、

本来こっちだろうと思う何年も打って来たキーボードも

随分押下ストロークが深いなぁと言う事と、

結構一打の力を使っていたなぁとしみじみ思う。

 

 これって他に置き換えると、

きっとカメラやレンズにも言えるのではないだろうか。

センサーに関して言えば正直新しいものの方が良いのは間違い無いのだが

ボディーサイズとか、スイッチや操作の感触やボタンやレバー、ダイアルの

その感覚が、

ふとMacのキーボードを付け替えてみて

あ、オレ、この先も古典的な感じのカメラの方が良いのかな、

小型ミラーレスとか、あまりにガシェット的なものでないので

かつ、昔々なのでなく、もう定番で王道だった感じが結局なんか

気持ちや感覚の落ち着きと納得の納まりどころが良いような気がしてくる。

つまりのところ、

普通のデジタル一眼レフの王道的な、Canon的なものやNikon、PENTAX的な

あの見るからに一眼レフってのが良いのかなぁと

 

 Macのキーボードを差し替えてみてふと思った今日でした。

 

 新鮮さが欲しいと思っていたけど

新鮮さそのものではなくて、自分が活性化し易く

上手く操作や新鮮味が有る無しで動くのとは違う、手足となる感覚。

それが最新のスタイルだけでなく、従来から動かさなくても良いものって

Macもカメラもな他にも、まだまだあるような気がする。

車のシフトだってATではなくてMT車をわざわざ探したし

Macだって付属でフラットキーボードになったのだから

絶対にそれを使わなくてはと言う決まりも法律も無い訳だからね。

 

 今僕が使っているカメラとレンズも

世の中の主流からしたら随分と無駄に大きいものかもしれない。

正直、画質で言えば世の中の中級製品でも

遜色の無いものになって来ているいわゆる下克上だからと言って

どんどんコンパクトで扱うのに疲れないものに絶対しなければと言う事もない訳だ。

そう考えて、そう言い聞かせて、

今少しヤケ気味にもうフォトライフのスタイルをシフトしようかと思った

年頭の念頭を、もう少し考え直してみようかなぁと思い始めている。

 

 過去にフラットキーボードに置き換えた時には

ひと文字の軽快さが軽やかになってもっとスムーズに多くを語れる気がしたが

ストロークの深い重めのキーボードに戻して打つだけで

ひと文字の重みがまた違った意味に感じられるから不思議だ。

これには操作の感触の差と、キーを打つサウンドの要因も大きいと思う。

 

 それって、カメラのシャッター音とか、グリップの大きさとか

レンスを支える時の重さとか太さとか、リングのトルクにも言えるはずで

画質と使途とレンズラインナップの面で正直高価で大きく重いNikonから

エイヤとシステム縮小とかダウンサイジングも考えなきゃと思っていたんだけど

もう少し冷静に考えてみようと思う。

 

 Macのキーボードひとつで

考えを振り出しに戻せる気がしてしまった今日。

僕はフォトライフの根底の新鮮さをまずは冷静に取り戻したくています。

 

 なんか気持ちのひとつも書けなくなりつつある中で年度が変わってしまい、

しばらくノートも書いていなかったのに、文字を打つ行為が

キーボードの感触が深くて重いものに戻っただけで

逆に重い口が開き、重い腰が動いてしまうこの不思議。

 

 カメラでも試してみようかな。

24mmから70mmのレンジをついGXRとAPS-Cにしていて

AF-S24-70F2.8Gの年間稼動がえらく少なかった去年。

メインをD700と言いつつも、サブやコンパクトの頻度の方が

総数でカウントすると枚数が多かった事実からも、

僕の何かは少し軽薄方向に、少し逃げ気味だったのかもしれない。

 

 つうか

常に当たり前になったものを時々新鮮と思える試し方をするだけで良いんだと思う。

Macのキーボードも、カメラもレンズも、フォトライフも、

こうだと決めつけて、もっと良いのはこっちだと断定しないで

もっとネクタイを選ぶように、服を着替えるように、靴を選ぶようにで

型にはめて固定断定しなくてきっと良いのだろう。

 

フォトライフもカメラもツールも何でもそうなのだろうね。

あるものの中で単に差し替えるだけの変化で

何かが新鮮になったり楽しめるのは

新鮮さを確かめる時に面白いものですね。

 

 ひとは知らずのうちに

味覚でも視覚でも感触でも動かない基準と思っていたもののキャリブレートが

少しズレてしまう時があるものだから

今日、キーボードを差し替えた事生まれた顧みる色んな思考が生まれた事は

きっと明日からの何かのヒントになってくれるはずだ。

 

 それにしても久々にこのキーボートで打つと

指の疲労度がこのノート一回分で随分違う事に最後の保存ボタンを押した時に

いつもと違う筋肉を使ったと感じたと同時に、

随分フラットキーボードが楽で慣れると疲れにくいものなんだなとも思った。

この先も、新鮮さに煮詰まったら、言葉も減るから

そう言う時に、またMacのキーボードを差し替えてみようと思う。

 

 そして、そのタイミングで

カメラとレンズの組み合わせとかフォトライフと感触もまた考えてみようと思う。

 

 自分が新鮮でいられるように。

 

 

 

 

 

 

 

cozy

 

 

 

 

2014/01/05