ライブバーの日々


市内の

浜田省吾の歌の歌詞に

「このマチのメインストリートわずか数百メートルー中略」

その数百メートルの一本裏の路地に雑居ビル。

 

その2F

1Fはとんかつ屋

3Fは風俗店

両隣近辺も飲み屋さん的なところで

 

もとはキャバクラ的な店で

チンチラ、ベルベット、テカテカ

典型的な小和柄の飲み屋イズが並び、

カラオケの一段高い歌のスペースや

お姉ちゃんと

ちょっとしたダンスするスペースがある広さ。

椅子、テーブル、厨房機器が

めっちゃ古いまま

そのままの居ぬきの状態のお店に

単純に

バンド機材を入れただけ。

みたいなところで

週末はイベント的にお客さんを集めて

バンドをドンスカドンスカやっていました。

 

キャパ的には

チケットを数えると

20、30、詰めて最大で50人くらいだったかしら。

基本、

自分らのバンドの練習場という名目でなので、

イベントとして

飲食代やそうしたイベントで

家賃や光熱費をペイできればオケなスタンスなんだけど、

 

まぁ、

一人も客のいない平日でも

開けとかなきゃいけない訳で

義理で回ってくれる人はありがたい訳で

帰りの代行待ちのの時間だけ寄ってくれるとか

今度ライブしたいんだけどとか言ってくれる人のためにも

開けとく訳で

 

暇すぎて

ここでの時間をつぶすためにibookG4や

のブログのを作ってみたり

暇すぎて

家で作っている曲を触ったりしてたかな。

騒音問題で

何回お巡りさんにペコリしたことか、

本業の人のイベントとかって

僕らより大きく出せと注文が入るし

全部演者に任せたりしても

どんどんヒートアップして音がデカくなって

上や下からきっと通報なんだともう。

ちゃんと面通しもしてあるんだけど、

そこら辺って

そういう筋は陰湿だしね。

別におまわりさんにしょっぴかれる事は無かったが

さすがに5度6度とおまわりさんに目をつけられるとね。

お互いに

またか、どもども。って言うのも。

ちゃんと屋号も登記してあって保健所も通してあって

合法の各所届けもその業界の面通しもしてあっても

やはりそうなるんですよね。

 

 

正直、

僕は飲酒運転する人は嫌いです。

車好きバイク好きだけど。

 

そして、

僕は盆と正月でも

よほどの事が無いと酒を飲みません。

だから逆に都合が良かったというのもあるけれど。

閉店時に一緒に帰るべと

家まで送って行ってあげて

代行車代を売り上げに回していだける事もあったし。

 

でも

後半はキツかった。

 

思うことが何にも出来なかった。

 

やはり

本当はマーケティングや

ちゃんとした音楽層とレベルが街そのものにない

そんなエリアでの運営は正直

僕的にも無謀だと思っていました。

 

赤字や借金が一円もなかった事が幸い。

最終的にはその一言かしらね。

 

いつか

あの時

僕に

即興弾き語りで歌ってもらったなぁ、、

なんて

思い出してもらえる人が

ひとりでもいるのなら

僕は本望です。

 

ここでは

ベースばかり弾いてて

歌いたい歌やギターはさっぱりでした。

演者に託してる時間くらい

自分も歌やギターも弾きたかったナ。

 

 

 

 

cozy

 

 

 

 

ここでの話と

DTMでのオリジナル完成する前に

何10曲か歌えない声になった事は

人生の中でちょっとだけ心残りかもしれません。

もうネチネチ悔やんではいないけれど。

 

音楽は

なんとなく

トパーズ色の思い出

セピア色の思い出って感じでしょうか。


2004年~2005年