ハイキーの肝はシャドウでローキーの肝はハイライト。


      一般のヒストグラムの中の適正が

その写真と撮影者当人のベストな適正でない事って結構多い。

ちょっと普通の趣味よりも強めの愛好心と探究心と

見られたい度と目立ちたい度があるなら

間違い無く少し傾向に特化したハイキーやローキー

その他にモノクロ的なものやコントラストを極端目に濃くしたり薄くしたりって

往々にしてあるものだしやっていたいものだし、有効な表現手段なものですね。

 

 先月、

とても僕に刺激のある良質なモノクロ作品写真集を手に入れたのだが

その写真集が、レビューや評価を探ると、

どこでも印刷製本のレベルを逸脱した

写真プリント作品にほど近いクオリティーと言う事を度々目に耳にした。

 どこまでも受ける印象として適正で見心地良く

キツ過ぎず弱過ぎず、なんだこの絶妙感は、、と唸るものだった。

 

 僕は写真をライトルームで展開する際に

絶対的にハイライトとシャドウは気にかけていて

引っ張ったり押さえ込んだり、持ち上げたり整えたりして

感覚はもちろん大事だが、その日の気分や精神状態で決定が左右され過ぎないよう

ヒストグラム上でのハイライトとシャドウのキワは意識的に確認している。

 

 ここ昨今は

デジタルフィルターや、各メーカーのアートフィルター的なもの

スマホアプリではレタッチ的なものやテイスト変化出来るものも

ごく当たり前でもあり、誰しもが何がし風な個性的と呼ばれる表現を

ワンタッチで手に入れつつある。

 僕はかりにアドビのモノクロフィルターをかけたとしても

ワンクリックで自分にぴったりな事ってまず無いですね。

 

 やっぱり不思議に良しと思ったものは

一般的な自動階調よりも多少ハイかローかに方偏っていた方が

印象的だったいするし、ハイでもローでも

それらの数クリックの適用では僕に限って言えばかもしれないが

ハイライトやシャドウ、

ヒストグラムで言う所の両端のレンジをグンと摘み挙げたい傾向があります。

 

 僕の場合

ハイキーの写真の肝な部分はシャドウの締まり加減であって

ローキーの写真の肝な部分はハイライトの伸びの部分なんだとつくづく思う。

もちろん色があろうが無かろうがな事であって

色がある場合、それに加えてRGBごとに露出変化から動いてしまう

色の中の明るさだけでない、色調と色調の変化をニュートラルに移行させる事と

レタッチポンという僕の嫌いな言い方で終わった写真と

僕の中で言う調整であり仕上げである操作との大きな納得に違いなのかな、

と、そんな風に思う。

 

 露出で絶対動いてしまう輝度彩度の変化を

判っていない人があまりにも多いなぁって僕は思います。

 

 ハイキーでも、ローキーでも

ハイ寄りだろうがロー傾向だろうが

撮り手の表現として適正でベストなテイストと言い張るならば

目と心と感覚でもデジタルの数字で見ても

 

 ハイキーでもローキーでも

眠くも無く、キツくも無く、実に適正な写真は

絶対に存在するんだと、今日の僕はそう言いたい。

       

そのキーワードは

表現手法の呼び名の真逆の部分に

とても重要な大きな「肝」があると言う事を

時々でなく、常に意識で来るようでありたい。

       


2012/12/18