雑誌やWebで上手いと称される人やプロの作品がツマらなく感じるのは

見方次第であって


      フォトSNS的なコミュでの上手いと言われる人の写真や

フォトコンやコンペで受賞した作品にぐっと来ないって人も多いと

以前のノートでも書いたと思うんだけど、

僕はどう考えてもそれはやはり違うと思うんです。

 

 プロの写真雑誌とかで掲載されるものには

もちろん金銭を頂く前提と責任もあるけど

それに付随して制限もある訳で、

 

 例えは

頂ける予算と契約と期間納期がある中で見合う成果を生まなければならなかったり

掲載スペースやサイズや量、網羅しなければならない約束事もあるだろう。

 

 フォトコンやコンペではどうだろう。

月例であれば前月と類似したけど前月トップ越える作品があった所で

それは食い込む事が出来なかったりも通年の並びを見れば頷かざる得ない事だったり。

 

 毎回のノートとまた被るけど

やはりぐっと来ないピンと来ないと言うのは

見る側の観点と写真一枚そのものだけでなく

それを取り巻く媒体や注目規模や求められる要素が大きく左右する所も

ようく考えなくてはならない。

 

 例えばプロが

月刊誌でこういう規格の中で日にちを決められた中で旅をしたものから

書き下ろしでと依頼された時、

どう考えても地元の撮り続けたハイアマの名作を越えられない事くらい分る。

でも、そのプロとしての視点観点で、制限の中からの見聞から

5枚があって一枚がとても「その人らしい」もので、他はイントロや間奏である事も

誌面の見せ方として有りでもあって、点数は一枚と残り複数の点差が有る無しとかでは無く

その人として総合点の部分に感銘出来れば実に評価に値すると思うのです。

 更に加えれば雑誌などならば

新機種の試写評価やレンズのしばりも加わる事もあるだろうし

どう考えても費やせる日にちだって限られる事くらいすぐ分る。

その中で、僕や貴方より購読者の多くを納得させなければならないのだ。

 

 ではフォトコンやコンペはどうでしょうか。

応募された中から秀でたインパクトや、もう二度と撮れない渾身の一枚

そう言った要素もとても大きなものですよね。

その人の今日これまでの写真全ての全数の総合点や平均点は一切関係なく。

得意分野や十八番的なものを全身全霊アタックしても言い訳ですし。

その中でも、通年浮き出て来る人は必ず居る訳で

良い運気の中で良いものが撮れ続けた人も居るだろうし

たった一発の花火のようだった人も居る訳だとも考えられるけど

選者の好みとかたまたまツボだっただけでは済まされない込められたものや

自分が感じなくとも選者が感じたものを理解しようとする事、組み入れる事は

写真を見る感じる、個人的に評価する際に大事な感性と解釈力だと思うのです。

 

 

 だから、

ぐっと来るものが無い、何を見ても僕の方が上と思うのはオカシイし

そおう決めつけるのは全然いち写真家としてクリエイティブではないと思う訳です。

 

 こういう反感を抱くのは

ツイッターやFB、個人アマフォトブログばかりを

日々の刺激ソースにすると陥りやすいのではないだろうか。 

 

      本当の見聞や人の何かを動かすものは

二次元ではなく三次元にあるんだと言う事と

一枚の写真を見るだけでなく、発せられるまでの取り巻く環境や原因要素

もっと多くの人生観や発信者の人となりまでを感じようとする

僕や貴方のコチラ側の人としての力も大きく関わっている事を

もっと深く考えたく思うのです。

 

 

 精神論等要らない、そう言い切る人もいるけれど

それ無しに切られたシャッターは商品物撮りで

使途要素に撮り手意思が一切要求されない場合とか逆に邪魔になるカテでの事だろう。

そうした商材だけで威張ろうとすると

決まってフォトコンなんて、決まって雑誌に載る程度のプロなんてと

自分より上の機会を得た人を卑下してしまうのではないかと思うんです。

 

 自分が立てない場所から発信している機会を得た人や写真を

もっと素直に羨ましいと思える事も

写真家として、プロアマ問わずで

素晴らしい感受性の撮り手として必要なとても大事な要素なのでは無いだろうか。 


2012/10/17